COBOL技術者の憂鬱

COBOLプログラマは不在にしています

夢を与えるプログラミング

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日経ソフトウエア10月号が発売されています。
「RetroTube開発記」は、残念ながら今回掲載分が最終回です。これまでのまとめ的な記事になっているのですが、個人でWebサービスを公開すると裏側でどんなことが起こるのかについて色々と書いてみました。ぜひ大勢の方に読んでいただけたら嬉しいです。

さて、このエントリでは、記事内で言いそびれたようなことをつらつらと書いていこうと思います。


昨年の春頃のことだったのですが、猛烈に仕事に励んでいた時期があり、それが原因でいきなり職場で倒れてしまったことがありました。
その後、救急車で病院にかつぎこまれる騒ぎになってしまったのですが、しばらく入院することで、仕事を離れて充分に休養を取る期間を得ることができました。
その期間に、「なぜ自分はこんな仕事をしているのか?」ということについて、原点に立ち返って考えてみる機会を持ちました。
「こんな状態になるまで働いて、一体自分は何を手に入れようとしているのだろうか?」というように、過労気味のサラリーマンなら誰もが一度は抱えるような疑問の類ですね。


結局、答えを見出すことのできないまま、退院してしまったのですが、自宅に戻った私は、自分の部屋を掃除がてら、あるものを探しだすことにしました。
それは、私が今の職場に配属された10年前、新人だった頃につけていた業務日誌です。
その中に、原点に立ち返って考える為のヒントのようなものが残されているような気がしたのです。


日誌はすぐに見つかりました。懐かしいなと思いながらパラパラと読み返してみると、「プログラムを組むのが楽しい」「他の同僚や後輩に夢を与えることができるようなSEになりたい」といったことが書かれていたのが印象に残りました。
なるほど、プログラムを組むことが楽しかった時期が自分にもあったんだなと思い、遠い昔におきざりにしてきた感覚が蘇ってくるような気分になりました。
また、「他人に夢を与える」なんて壮大なことを目標に掲げていたようですが、今の自分にそんなことができているんだろうかと自問してみました。
当然、このままではいけないと、非常に反省することになりました。なんだか過去の自分に教えられたような気分でしたね。


だからといって、具体的にこれからどうしていけばよいのか、少し考える必要がありました。
世間を見渡すと、ちょうど個人で手軽にWebアプリケーションを作って公開することがブームになりつつありました。
この舞台で、一つの作品を作り上げて公開すれば、何か得るものがあるのではないかと、私は考えました。一から作品を作り上げていく過程で、プログラミングの楽しさを思い出し、また作ったものを世間に公開することで、大勢の人に夢を与えることができるのではないかと思ったのです。


今月号の記事内で「Webの世界で自己表現がしたかった」と書きましたが、その背景には、実はこんないきさつがあったのです。


雑誌で記事を書かせていただけるというお話を初めにいただいた時には、「大勢の人に夢を与えることができる」と思い、二つ返事で決意しました。
当時の私は、全国紙でそれなりにまとまったボリュームの記事を書いた経験など全くありませんでしたし、普段の仕事においても設計書などのドキュメント類を書くのは苦手なので、正直やり遂げる自信はあまりなかったのですが、「読者の方に夢を与える」という一心で頑張ってみました。
もちろん、これは私一人の力でできたわけでは決してなく、大勢の方の助けがあったからなのですが、その点について非常に感謝しております。


本当に、ありがとうございました。
そしてこれからも、よろしくお願いいたします。