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COBOL技術者の憂鬱

COBOLプログラマは不在にしています

Lingrについて

先月末でサービス終了してしまったLingrについて、少し考えたことを書いておこうと思います。



私の主なLingrの使い方は、自分専用のチャットルームをひとつ作成し、それを学生時代の友人達に知らせて、彼らとの旧交を温める場として活用することでした。
使い始めた頃はなかなか楽しくて、例えば、友達と二人で会話している途中で、別の誰かがその話に入ってきたり、それらのやりとりを後日、別の誰かが読んで、思ったことを書き残しておいてくれたりと、チャットってこういう使い方もできるんだなということに初めて気がつくことも多かったです。
「メール」が電話と手紙の中間的なツールとして広く世の中に受け入れられたのと同様に、「Lingr」もチャットと掲示板の中間ツールとして広まっていくのではないかなと、そこまで想像をふくらませていた頃もありました。

けれども徐々に、自分のチャットルームを使うことも減っていき、サービス終了間際に他のチャットルームを覗いてみると、特殊な性癖を持つ方々の社交場のような感じになっていて、軽い既視感を味わってしまいました。
大昔に、マイクロソフトがクライアントベースのチャットツールをリリースしていたことがあったのですが、結局のところ、あれと同じ末路を歩むことになってしまったのです。
時代が変わり、技術も、それを扱う人々も、量的にも質的にも劇的に進化しているはずなのに、結局たどり着いた場所は同じというところに、皮肉めいた何かを感じずにはいられないのです。



では、どうしてそうなってしまったのかについて、少し考えてみましょう。

Lingr内で他のユーザーとつながる仕組みとして、LingrRadarというクライアントツールが提供されていました。
これを自分のPCに入れておくと、Web上の自分のチャットルームにアクセスがある度に、逐一メッセージを表示してくれるというものです。
けれどもこれは、ヤフーメッセンジャー等と同じで、初めの頃は物珍しいのでずっと立ち上げっぱなしにしているのですが、何か他の作業に没頭している最中に話しかけられるとうっとおしいので、ついついツールを落としてしまうことが多くなり、そのうち起動することもしなくなってしまいました。

Lingrと同時期にリリースされて、広く世間に受け入れられたTwitterに目を向けると、Lingrとは非常に対照的なアプローチを取っているのがよくわかります。
何か書きたい時に書いて、読みたい時に読んで、誰かへのメッセージの反応を気にする必要がなく、誰かからのメッセージに対して必ずしも反応する必要はなく、あくまで「独り言の延長で会話が成立していく」ような仕掛けになっています。

両者の勝敗を分けた決定的な違いは、この「つながりの強度」なのではないかと私は考えています。


また、もうひとつ考えられる原因は、Lingrを「チャットツール」というふれこみでリリースしてしまったことにあるのではないかと思います。

例えば、「ブログ」は、形式的にはWeb初期からあった「個人の日記ホームページ」と何ら変わるところはありません。
けれどもそれに対して「ブログ」と名付けることで、何かよくわからない存在として世間から捉えられることになりました。
そしてその、よくわからない存在に対して、人々が試行錯誤していく内に、全く新しいツールとして受け入れられていくことになったのではないでしょうか。
Ajaxが既存の技術の組み合わせに「名前付け」をすることで普及したのと、どこか似ているような気がします。



以上、サービス終了に際して、残念に思っただけではなく、どことなく納得のいかない思いが自分の中にあったので、自分なりに考えてみたことを簡単に書いてみました。
江島健太郎さんのこちらのエントリや、ITproイベントでの講演からは、「いつか何かやらかしそうなパワー」をものすごく感じてきたので、ここからどうひっくり返していってくださるのかとても楽しみです。