COBOL技術者の憂鬱

COBOLプログラマは不在にしています

オープンソースであるということ

今年に入ってから、連載プログラミングという個人プロジェクトを通じて、趣味で作ったWebアプリを公開してきたわけですが、ごく僅かではありますが、周囲の方から反応のようなものをいただいています。
その中には、私の作ったアプリを「使えない」という意見があったりするのですが、それについて思うことを書いてみようと思います。


もともとこのプロジェクトでは、「ツールとして使えるもの」を目指して作っているわけではなくて、無料でこんなに手軽にこれだけのものが作れるんだよーっていうことを周囲に伝えることができたらいいなぁと思って、そちらの方を重視してやっています。
だから、単純に「使えない」でおしまいにするのではなくて、どうすれば「使える」状態になるのか、そこまで考えてくださるとすごく嬉しいですし、もし可能であれば、自分の力で修正していってくだされば、これほど楽しい人とのつながり方ってないなぁと思ったりするわけです。


詳細は忘れてしまいましたが、その昔、Railsの機能追加が行われたときに、あるユーザーから「使えないなぁ」と言われたDHHのアニキが「不満に思うなら自分で修正してください。そのためのオープンソースなのに…」と切りかえしたのですが、そのやりとりを見ていた全く別の第三者がスパッとパッチを作って公開するといったことがありました。
こういう、「他人に文句を言う前に、さっさと手を動かして解決してしまう」っていうスタンスは、プログラマにとって超重要な姿勢だと私はいつも思っているのです。


最近でも、夜フクロウというTwitterクライアントの件で、作者とユーザーの間で不毛な言い争いみたいなことが起こっていましたが、あれもオープンソースにしておけば初めから問題はおこらなかったのではないかなと、思うのです。
まぁ、そうはいっても非プログラマな方からすると、いくらソースコードが公開されているからとはいえ、まだまだ手軽にプログラミングを始めるには敷居が高いなと感じてしまう状況があるのかもしれないですよね。
ちょっとそのことについては、また明日書こうと思います。