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COBOL技術者の憂鬱

COBOLプログラマは不在にしています

恵まれた時代

あれは私がまだ小学生の頃のことなので、もうかれこれ四半世紀ほど昔のことになりますね。
当時は、今のようにどこの家庭にも必ず一台はパソコンが置いてあるなんて状況ではなく、どちらかというと「マニア向けの高価なオモチャ」扱いされていた頃のことです。子供のオモチャにしては結構値がはるので、私もかなり苦労して、親に買ってもらった記憶があります。
当時のパソコンは、起動するとすぐにエディタが立ち上がり、プログラムを書く以外のことは何もできないようになっていました。BASICというインタプリタ言語を使って、単純なゲームアプリなどを作って走らせるというのが、当時の一般的な使い方でした。
出来上がったアプリケーションを公開する場所は、パソコン雑誌の読者投稿コーナーに投稿して、そこに掲載されることでようやく世に出るといった状況で、まさしくマニア向けの地味で暗い世界が展開されていたわけです。
パソコンはあらゆる電機メーカーから色んな機種が出ていて、それぞれに互換性はなく、ある機種で作成したプログラムは、別の機種では動作しないという、なんとも非効率な環境でした。
まぁそういった閉鎖的な環境の中で、幼い頃の私は、子供心にも、この世界に未来はないなぁと、漠然とした絶望感のようなものを抱えていました。


現在では、どこの家庭にもパソコンが常設され、インターネットに接続されています。
プログラミングする環境が欲しければ、ポチポチッとクリックするだけで、あらゆる言語のコンパイラや開発ツールが揃うようになっています。
出来上がったものを公開する場所はネット上にいくらでもあり、アプリ自体をネット上で動作させ、色んな人に使ってもらうといったことも手軽にできるようになっています。


こんなに恵まれた時代になっているのに、どうしてプログラミングするという行為が、いまだに一般的なものになっていないのか、考えてみると不思議な気がしてきますね。
私がいまだに、仕事でも趣味でもひたすらプログラミングを続けているのは、幼い頃に抱えていた飢餓感や絶望感がベースになっていることに疑いはないのですが、だからこそ、現在のプログラミングの手軽さや楽しさを、非プログラマな方達に伝えていくことの重要性は常に感じています。
今の若い人達が「このアプリ使えないなぁ」「けどプログラミングなんて自分にはムリ」とか、そういうつぶやきを目にする度に、何かうまい方法を使って、それに応えていける方法がないかなーと考えているのですが、残念ながらまだまだよくわかっていません。