COBOL技術者の憂鬱

COBOLプログラマは不在にしています

生きているフリ

この間、ニートとして有名なphaさんがご自分のブログでおっしゃっていた言葉の中で、『以前に働いていた頃は、自分の時間を社会に売ってお金を稼いでいたが、その後稼いだお金で失われた時間を買い戻そうとしていたりして、本末転倒だった』とか、そんな感じの言葉があって、それがすごく印象に残っています。
なるほど私も独身時代は、そういう感じのお金の使い方をしていたなぁと思います。確かに、ストレス解消目的で、マッサージに行ってみたり、無駄に高い買い物をしてみたりして、本当に今振り返ると何をしていたのかよくわからなくなってきますよね。


ところがこれが、結婚して家庭を持つようになってからは、自分一人の計算だけではなくなってくるので、無駄遣いのようなことは極力避け、節約生活に入ることになりました。
で、お金に対する考え方もすっかり変わってしまって、自分と家族が死ぬまでに必要な金額を以下の計算式で算出して、そこから私が死ぬまでに最低でもこれだけの金額はこの世界からゲットしてこないといかんなぁと、自分なりに目標を立ててやってきました。


(日本人の平均寿命ー家族の平均年齢)*家族の人数*日本人が一日あたりに必要な平均的な家計費*365


で、最近よく思うのですが、こういう考え方をしていると、なにかものすごく虚しくなってくるんですよね。
例えば、一日働くことで、大体これぐらいの金額が自分の懐に入ってくることになるので、それでだいたいウン日分寿命が延びることになったなぁ、とか、まるで未来の時間を買う為に、今の自分を殺して労働しているような気になってくるのです。
さらに、そうやってゲットした未来の時間を、一体何に使うのかということを考え始めると、正直もうよくわからなくなってきてしまうのです。
おそらくそう遠くない未来には、自分の心身も衰えてきて、何か新しいことに精力的にチャレンジしていくこともできなくなっているかもしれないし、かたや世界の方も、とても生きるに値しないような地獄のような環境になっている可能性の方が高いような気がしてきて、もうそんな世界に対してこの自分が何かできることもほとんどなくなってしまっているのではなかろうか、と悲観的に思うわけです。


今の私にとって最大の疑問は、こんな考え方で今の仕事を続けていても、それで果たして本当に「生きた」ことになるのだろうか?という点なのです。
なにかこう、全然「今」を生きていないというか、生きているフリをしているだけで、本当はもう死んでいるのとあまり変わらない状態に陥ってしまっているのではないかなと、そんな中二病的な感覚になっている自分がイヤでイヤで仕方がないので、なんとかしてこの状況から脱出しようとこれから試行錯誤してみようと思います。