COBOL技術者の憂鬱

COBOLプログラマは不在にしています

記憶のインデックス

ちょっと変な話をします。



この歳になって、自分には、ちょっとした特殊な能力があることに気づきました。
それは、自分の中にある過去の記憶をさかのぼって、手元に手繰り寄せてくるのが、普通の人よりも上手くできるということです。
どういうことかというと、例えば、つい最近結婚した学生時代の先輩に「イエスノー枕」を贈りつけてやったのですが、これはなんの根拠もなくやった訳ではないのです。
その昔、もう10年以上も前のことだと思うのですが、その先輩と飲みながら雑談していた時に、「俺、もしも結婚したら『新婚さんいらっしゃい』に出るのが夢でさー。」とつぶやいていたのを、なんとなく聞き逃さずに今でも憶えていたからです。
今、「憶えていた」と言いましたが、正確には、「その記憶にアクセスすることができた」といった方がよいでしょう。
他にも、かなり以前に友人と雑談した際に、話の中に出てきた登場人物の名前や行動などを詳細に記憶していることが多く、そのことを今になって友人に話すと、「すっかり忘れてた!」と言って、驚きながら思い出してくれるのです。
何人かの親しい友人は、私のその能力に気づいていて、「お前の記憶回路は一体どうなっているのか?」と半ばあきれるようにして言われることがよくあります。



私は、脳について、科学的に詳しいことはあまりわからないです。
ただ、記憶というものに対する私の考えは、以下のようなものだと勝手に思っています。
「記憶」とは、ハードディスクと同じように、実データとそれに紐付くインデックスから構成されていて、「忘れる」という行為は、実際に記憶が失われているわけではなく、単にインデックスから実データが切り離されてしまうだけなんだと思っています。
そして、一度忘れてしまった記憶であっても、誰か他の人から、実データそのものの存在を指摘されることで、再び脳の中で新たなインデックスと紐付けられるんだと思っています。これが、「思い出す」という行為ですね。
私の場合は、そのインデックスの状態が、通常の人とは少し違うんだろうなということは感じています。
どう違うのかといわれると、具体的にはっきりと答えることはできないのですが、まず、インデックス自体が太くて切れにくくなっているんだと思います。
そしてさらに、インデックスを検索するやり方が、通常の人よりも最適化されているとか、そんな感じなんじゃないでしょうか。



さて、ここでなぜか話題をWebの世界に持っていきます。
最近のソーシャル系サービスの流れを見ていると、ユーザーの日常生活上のありとあらゆる出来事や、そこから感じたこと・考えたことなんかを、逐一記録していって、あとは検索によって自由にそれらを取り出すことができるようにすることを狙いにしているような気がします。
これは、人間の記憶をひたすら蓄積し、検索し、結果を何かに利用するという意味で、先に話した私の特殊な能力と完全に一致するものです。
もっとも私の場合は、何かの利益になるようにこの能力を活用したことはあまりなくて、そもそもどう活用すればよいのかも今のところはっきりとわかっていません。
けれども、これからは多くの人が、ソーシャル系サービスを活用することで、私と同じような能力を手にすることができるのでしょう。
その人の趣味・嗜好はもとより、どんな人生を歩んできたのかが、検索一発でわかる、そんな世界が目前に迫っているような気がしています。
それがどんな世界なのか、まだ漠然としているのですが、よい方向に転がってくれるように、微力ながら自分も何かできたらなぁと、いろいろ思いをめぐらせています。