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COBOL技術者の憂鬱

COBOLプログラマは不在にしています

FBとかG+とか、そのあたりのSNSのこと

最近、Facebookの「いいね」ボタンや、Google+の「+1」ボタンとか、色々と「押しモン」が増えてきました。
今やネット上のありとあらゆる要素に対して、ボタンがゴテゴテ貼りつけられていて、どれを押したらよいのか迷ってしまうほどです。
これらのボタンがもともと何を意図して作られたのかというと、「1クリックでポジティブな感情を相手に対して伝える」ということだと私は思っていました。
ところが最近の私は、ちょっと妙な使い方をしていることに気づいたのです。
例えば、ネット上の自分の発言に対して誰かがレスポンスを返してくれても、それがちょっと返答に困ってしまう内容だったり、あるいは返答に時間がかかったりする場合があるのですが、そういう時にとりあえず「いいね」や「+1」ボタンを押しておけば、なんとなくお茶を濁すような感じで丸く収まることが多いのです。
昔のmixiだと、「足あと」がついているのにレスポンスを返してくれない人に対して、「あの人、私の日記見てるのになにも反応してくれない」という思考状態に陥りがちで、そこから「mixi疲れ」という言葉が流行ったりしたことがありました。私の場合はそういう状態を避ける為に、最近の「押しモン」を利用しているような気がしますね。
でも、なんかそういうのって、本来の使い方とは違っているような気がしていて、「+1」ボタンとは別に「±0」ボタンとか、そのくらいのニュアンスのボタンがあってもいいんじゃないかなという気がしています。



あと、FBとかG+とか最近のSNSは、実名での登録を強制していますが、それでよく言われているのが「実名だと誰が誰だかわからない」という矛盾ですね。
ネットの世界でハンドルが使えないということが、これほどお互いの認識に不都合を及ぼすものだということを初めて思い知らされたような気がします。
そこで、発想を逆にしてみて、いっそのこと他人に対してあだ名をつけられるようにすればよいのではないかと最近よく思うのです。
現実世界でも、例えば、私は毎朝の通勤途中で道でいつもすれ違う人に対して、勝手に脳内であだ名をつけています。「吉田栄作」「くわえタバコ」「ビッチ女子高生」とか、相手の外見的な特徴から適当に名付けています。同じように職場でも、相手の名前をなかなか覚えられない時には、脳内で勝手にあだ名をつけるようにしています。
そういうのって、相手の実名を知らないから仮で名付けているわけではなくて、そうした方が記憶に残りやすいからやっているんですよね。
なので、最近の実名制SNSでも、他人に対してあだ名をつけることができるようにすればいいのになぁと思います。
当然、誰が誰にどんなあだ名をつけているのかは非公開にできるようにしておいて、そういうことをシステム的に実装してくれたらよいのになぁと思うのです。