COBOL技術者の憂鬱

COBOLプログラマは不在にしています

趣味プログラマーとして生きる

趣味プログラミングについて、最近考えていることについて書きます。


昔からネット上には、ネタとしてギークを自称している人たちがいて、例えば、べにぢょさんという方は、明らかにこのカテゴリに属している方です。
私は昔から彼女が、なにかにつけては「コンパイル(はーと)」と言う言葉を繰り出す度に、必ずイラッときてしてしまうのです。
なぜなのかというと、やはり私が、職業として「コンパイル」という行為を真剣に行なってきたからなんですね。


私が新人だった頃の話ですが、当時、一万本程度のプログラム郡を一括コンパイルする必要があって、事前に詳細なスケジュールを組んで、一日あたり千本ずつくらい、深夜にバッチを回してコンパイルしていったことがあります。
ある日のこと、夜間バッチに異常に時間がかかってしまい、翌朝になっても積み残ってしまうという事象が発生しました。
たったそれだけのことなのですが、影響は大きく、関係するプロジェクトの要員の手が一日止まってしまうことになりました。
当時は100人程度の開発要員がいたので、5人月ですから金額にしておよそ500万円程度が吹っ飛んだことになります。
上司からは、コンパイル時間の見積もりが甘いと攻められ、泣きそうになりながらどうすることもできなかったのを憶えています。


私にとって、コンパイルという行為は、常に死と隣り合わせの非常にインパクトのある行為なのです。
まさに、「女子供はすっこんでろ」とでも言いたくなるような、泥臭い世界での血みどろの戦いなのです。
まぁ、そんな感じで、真剣にプロとして行動している者が、遊び半分で楽しくやっている者へ嫌悪感を抱くという、これってある意味わかりやすいパターンですよね。


でも、最近になって、私のべにぢょさんに対する嫌悪感は、ちょっとねじれていることに気づいたのです。どういうことかというと、これは近親憎悪というやつなのではないかと…
つまり、私自身も、「楽しそうに適当な調子でWebサービスとか作ってんじゃねーよ」とか、「その道のプロ」からは思われているんですね明らかに。
私がべにぢょさんに抱く感情は、ちょうど彼らが私に抱いている感情となんら変わりのないものなのです。
そういうことにようやく気がつく歳になりました。


では、なんでそんな風に一部大勢の方々から疎まれながらこんなことを続けているのかというと、やっぱりどこかで技術オタク的な人たちよりも、ずっと面白いものが自分には作れるような気がしているからなんですね。
結構周囲を見渡してみても、「俺様はガチでギークだぜ!」とか言っている人よりも、そのへんの子供やおっちゃんの方が、Web上の事物に対して面白いアイデアを持っていたりすることが多いと感じます。
あとはもう一歩進めて、彼らの発想を形にしていくことができればよいのですが、そういうことのお手伝いをしていけたらよいなぁと思っているわけです。


考えてみれば、googlefacebookも、個人プロジェクト時代はまさかこれで食っていくつもりでやっていなかったと思うのです。
ただ純粋に自分たちが必要なものであったり、作ること自体が楽しかったから適当にやっているうちにここまできてしまったというところが大きいのではないでしょうか。
本当に面白いものは、そういう脱力したところからしか産まれてこないような気がするのです。


なので、自分の周囲にいる「技術を持たざる者達」に対しては、決して芽を摘んでしまうことのないように、大切に育てていく方向でいきたいと考えています。
私自身は、あまり肩肘はらずに、これまでどおりヘラヘラ笑いながら他人の見よう見まねでいろいろやっていこうと思います。