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COBOL技術者の憂鬱

COBOLプログラマは不在にしています

大人になるということ

最近ね、自分も大人になったなと感じることが多くなってきて、それはもうほんとに日常のほんの些細なことなんですけども、過去に自分が見聞きしてきた「オトナ的振る舞い」を自分も無意識のうちにとっていることに気づいてしまって、ヒヤリハッとすることがよくあるのです。

 

例えば、年末にMacBookAirを買ったんですよ。最近iPhoneよく触ってるから、自分でもアプリ作ったりできるのかなとか興味が湧いてきて、あんまり深く考えずに買ってしまったんですよ。

でもいまだに箱から本体を取り出しもしていません。

この「買ってしまえばとりあえず満足」というのは若いころには絶対なかった感覚ですよね。

昔、勤めていた会社の年寄り連中が「高そうなPCを買ったはいいけど箱から出しもしていない自慢」をしている風景を横目で眺めていたのをなんとなく思い出してしまいました。まぁ、気がつくと自分もそれと同じ事をやっているわけでして…

 

他には…

私がエンジニアとしてのキャリアをスタートした頃に、部長クラスの人間から講話的なものを受けたことがあって、それがだいたい以下のようなお話でした。

『自分にも新米エンジニアだった時代があって、当時担当していたのが、とある工場の倉庫を制御するシステムだったので非常に苦労した。それでも自分が書いたプログラムの通りに機械が動作してくれた時の感動はいまだによく覚えているよ。』
とかなんとか一通り語った後で、彼は
『今は人間相手の仕事だから、あまり面白くないなぁ…』
とぽつり呟いていました。
自分より、遥かに上の立場の人間が、そんなふうに話しているのを聞いて、大人になるってそういうことなのかなーと漠然と思ってしまったのを覚えています。
でまぁ、そんな感じのことを、ついこないだ自分も若い人と話していて、うっかりぼやいてしまったのです。
 
なんかもう完全にミサワみたいだなと。