COBOL技術者の憂鬱

COBOLプログラマは不在にしています

キャラメルと箱

ついこの間、以前に勤めていた会社の名前を久しぶりに耳にして、懐かしさもなにも感じていない自分に気づきました。

10年以上も籍を置いていたのに、そこに勤めていた感覚が全く残っていなかったのです。

好きとか嫌いとか、そういった感情すらまったく湧いてこず、本当になにも残っていませんでした。

これってどういうことなんだろうと、思わず考えこんでしまいました。

 

 

いま思えば、あの会社に勤務していた間は、客先常駐以外の勤務形態がなかったので、客先以外で働いていた記憶が全く残っていないのです。

1000人近く社員がいる会社だったのに、私と同じ会社の社員を見たことがあまりありませんでした。新入社員が100人ほど入っていた年もあったはずなのですが、そもそも新入社員を見かけた記憶がほとんどありません。

一般的な会社とは違って、そこに所属している人とか物とか場所とかが、お互いにうまくリンクしていない会社だったのでしょうか。

これが普通の会社や、あるいは学校なんかだと、毎日そこへ通って一日を過ごし、卒業した後でも物理的に移転することもおこらずにいつまでもそこに残り続けるので、人間の思い出とうまくリンクするようになっているんでしょうね。

 

 

結局のところ私が勤務していた会社は、『人材の専門商社』みたいなものだったのでしょうか。

そこでは、私たち技術者は、売買される商品にすぎなかったのではないかと思うことが今ではよくあります。

売り手と買い手と仲介者の間で、ただその価値に応じて、自由に値付けされ、取り引きされる存在にすぎなかったのではないかと思うのです。

 

 

例えば、お店で売っているキャラメルがありますよね。

箱の中に入って売られているキャラメルは、その一粒一粒が固有の価値を持っていると言えます。

そしてキャラメル達が、自身を梱包している箱や包み紙に対して、帰属意識を持つなどということは、おそらくないでしょう。

だから、私が長年あの会社に所属していても、ついに帰属意識を持つことができなかったのは、そういうところからきているのではないかと思うのです。

 

 

だからいまになって、あの会社のことをうまく思い出せないし、なんの感情も湧いてこないのは、すごく自然な反応なのです。