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COBOL技術者の憂鬱

COBOLプログラマは不在にしています

神様はデバッグなどしない

あれは五年ほど前だったかな、技術系のイベントで講演していたその人は、どこにでもいそうな感じのごくごく普通の中年男性でした。スーツ着て通勤電車に乗ってそうな感じの、真面目そうなおじさんといった印象。

話し方は少し神経質そうな感じでしたが、そこで彼は自分のことを『プログラマー』とは呼ばずに、『シミュレーション屋』であると定義していたのが印象的でした。

どういうことかというと、プログラムを組んでそれが自分の意図した通りに動作することを確認して満足している訳ではなく、さらにそこから思いもよらない動きにつながっていく過程をじっと観察していくのが楽しい、とかそんな意味のことをおっしゃっていたような気がします。

きっとあのアプリケーションも、自分の手から離れて自律的に動いていく様子を、たとえそれが犯罪行為の温床となるようなことがあっても、ずっと遠くから眺めていたかったのでしょう。

 

 

前にも一度書いたことがあるかもしれません。

私は、宗教とか信仰とかそんなものは特に信用していないのですが、それでもやはり今我々が生きているこの『世界』を最初にきちんと設計した『存在』がどこかにいて、それは今もじっとどこかから我々を眺めているような気配のようなものを感じることがたまにあります。

でないと、これだけ長い期間、破綻をおこさずに、きちんと動作を続けているシミュレータが存在するはずがないと思うのです。

その『存在』のことを、仮に『神様』と名付けるとすると、神様は我々が苦しんでいる時に、手を差し伸べてくれたりすることはこれまで一度たりともなかったでしょう。何か問題が発生した時に、たとえそれが環境面での致命的な設計ミスによるものであったとしても、神様がそこへ何らかの操作を加えて、我々を救済することは決してしてくれないのです。

あくまでも、自分たちで解決するしかない。

宗教とか信仰とか呼ばれているものの本質は、ここにあると私は思っています。

 

 

彼が亡くなった後、数日間に渡って『結局のところ彼は何者だったのか?』という話題がさかんに出てきました。主に彼の存在や作品に対して、それが『善か?悪か?』に的を絞った議論が多かったような気がします。

彼の作ったあのアプリケーションは、今では起動しておくだけで罪に問われるほど違法性の高いものであり、そこから創りだされる世界はやはり犯罪行為の温床と化してしまいました。それは疑いようのない事実です。

けれども彼の存在や作品に対して善悪を問うことは、我々が生きているこの世界に対してその善悪を問うのと同じくらい、滑稽なことなのではないでしょうか。

 

 

金子さん、長い間お疲れ様でした。どうぞ安らかにお眠り下さい。

そして、我々とP2Pをとりまく世界を、今後も遠くから見守り続けてやってください。

ただし、デバッグは不要です。

 

Winnyの技術

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