COBOL技術者の憂鬱

COBOLプログラマは不在にしています

自殺

8月も終わりに近づきつつあるこの時期になると、毎年必ず思い出すことがあります。
それは、かつて同じ職場で働いていた、ある先輩のことです。

その日もいつものように私は朝から仕事に追いまくられていたのですが、そこへ突然PMが現れ、職場の全員で緊急のミーティングをすることになったから、全員会議室に集まって欲しいと告げられました。そこで、当時私より4つ年次が上だった先輩が、前日の夜中に亡くなったということを知らされました。原因についてはよくわからない為、現在確認中とのことで、既にこの世の人ではなくなってしまっているということだけが、事実としてつきつけられる形となりました。

私は、その時になってはじめて、今朝からその先輩が出勤していないことに気づきました。加えて、私のデスクの二つ隣に座っていたということにも気づきました。もし彼が亡くなっていなければ、ひょっとするとそんな当然のことにも気づく機会は永遠になかったかもしれない。そう考えると、そんな状態まで追い込まれて余裕を失っている自分が、空恐ろしくなったのを覚えています。

後日、その先輩は「不慮の事故」が原因で亡くなったのだと正式な発表がありました。それ以外の説明はありませんでした。また、私を含めて誰一人そのことについてつっこんだ質問をする人間はいませんでした。

あれから五年経ち、当時の先輩の年齢をようやく追い越した私ですが、彼がどうして亡くなったのか、原因ではなく、理由を知りたいという気持ちはいまだに変わりません。それはひょっとすると、私がいまだに現在の職場を去ることなく、同じ仕事をひたすら続けている動機になっているのかもしれません。