COBOL技術者の憂鬱

COBOLプログラマは不在にしています

セキュリティ過剰

最近仕事関係でセキュリティ関連の話題を振られることが多くなってきました。
IT系に限らずどんな企業も今はそのような感じだと思うのですが、猫も杓子もセキュリティなので正直辟易しています。


元々私は、ネットワーク関連、それもセキュリティ絡みの仕事がやりたかったのですが、この業界に入った10年ほど前は社内のセキュリティに対してそれほど脅威もなく、そんなことは話題にするだけでも笑われてしまうのが落ちでした。
データの移動はもっぱらフロッピーをベースとして行われていた時代だったので、ウィルス感染やデータ漏洩などのリスクは極端に低かったのでしょう。加えて、セキュリティ対策は、それ自体が我々に利益をもたらすことはなく、どちらかといえば外部からの攻撃に対してどのようなスタンスで防衛していくかということを考えるものなので、そういう面も手伝ってこれまであまり重要視されてこなかったという背景があります。


時代は変わって、どこぞのボンクラが社内PCにウィルスを混入させ機密情報が漏れ、そのことが原因で一つの企業の存続に関わるようなダメージを及ぼすようになってきました。
私からすれば、それみたことかといった感じなのですが、どうも最近はセキュリティ対策に過剰になりすぎているような気がして仕方がないのです。というのは、組織の中でなんらかの行動を取ろうとする度に、セキュリティ上の厳重なチェックを通過する必要が出てきているのです。
このように、セキュリティ対策のレベルが年々上昇していくにつれて、私の心に漠然とした違和感が残るようになりました。この違和感の正体は一体何なのかと思って考えたりしていたのですが、それは、簡単に言ってしまうと、人間疎外なんだと思います。何かやりたいことがあっても、それはセキュリティ上の制約があるからダメといったことがまかり通ってしまう。どう考えても、企業という組織を維持していく為に、我々の気持ちは置き去りにされているとしか思えないのです。