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COBOL技術者の憂鬱

COBOLプログラマは不在にしています

明日、君がいない

毎年この季節になると、必ず思い出すことがあって、それは、とある職場で私の先輩だった方のことです。
もうこの世にはいない方で、亡くなってからちょうど今年で10年目になります。



その先輩が亡くなる前日のことを、なぜか今でもよく憶えています。
あれは結構夜遅い時間まで残業している時で、もう職場に人も残り少なくなってきている時間帯で、それでもお客さんから先輩宛に一本の電話が入ってきて、その電話に出た私は、そのまま先輩に取り付ぎました。
その時は、特に変わった様子もなかったし、私は何も考えずにそのまま自分の仕事を終えて帰路につきました。



次の日も、朝から私は仕事に忙殺されていました。
大きな案件のカットオーバーを数カ月先に控えていて、周りのことに全く目をくれずに一心不乱で仕事に没頭していたのを今でも憶えています。
お昼前に、ふとその先輩の席に目をやると、どうも出勤している様子がないことに気づいたのですが、体調悪いのかな?と思ったぐらいで特に気にしていませんでした。
そしてお昼過ぎに、その職場の全員が会議室に集められて、先輩に関する事情説明がありました。
先輩が昨晩亡くなったこと。原因はまだよくわかっていないこと。今夜お通夜が開かれること。
私は意味がよくわからないまま、お通夜や葬儀などの行事関係に参加したのですが、その後も先輩の死の原因については、「事故」という点以外には特に具体的な報告がなされることもなく、そのままうやむやになる形で終わってしまいました。



あれから何度も、頭の中であの日の夜のことをシミュレーションしてみました。
もしもあの時、お客さんからの電話なんか取り次がずに無視してしまって、「先輩、こんな仕事やってられないっすよ。今日飲みに連れてってくださいよー。」みたいな感じで声をかけてみたらよかったのかな?とか。
そんなことに何の意味もないとわかっていながらも、10年経った今でも、脳内シミュレーションしている自分に気づくことがよくあります。



その先輩が生前に世話をしていた、卓上に置くタイプの小さな植木がありました。映画「レオン」でジャン・レノが可愛がっていた、あんな感じの植木です。
それは先輩が亡くなった後、誰も世話をしなくなって放置されてしまっていたのですが、いつ頃からか、毎日私が水だけはやるようになりました。
それから数年経って、私がその職場から異動することになった時に、周囲の人間へ植木への水やりだけはやってくれるように引き継いでおいたのですが、先日、その職場の同僚にその植木のことを尋ねると、もう誰も世話をしなくなってしまい、枯れてしまったので処分されてしまったということでした。
もう10年も経ったのだから、あの職場にはもう、あの植木の由来を知っている人間がほとんど残っていないので、仕方がないのかなと思いました。
そして、死んだら、何もかも終わりなのだと思いました。ただ、この世から忘れられていく一方なのです。



けれども昨日、10年前のあの職場で一緒に仕事をしていたある同僚からメールで連絡がありました。
あの先輩が亡くなってから、今年でちょうど10年目だから、当時職場にいたメンバーで集まって飲み会でもやりませんか?という内容でした。
自分以外にも、先輩のことを記憶している人がいて、きっちり今年で10年目だということも意識しているんだということがわかり、ちょっとほっとした瞬間でした。
結構、人の死って、みんな記憶しているものなんだなぁと思うと同時に、やはりあれは、相当インパクトの大きな出来事だったんだな、と今にして気付かされたのです。
先輩は「自ら死を選ぶ」という行為を通じて、この世界に、といっても我々の内輪だけの世界にですが、大きな爪痕を残すことに成功したのです。
その大きな爪痕から読み取れるメッセージは「いつまでもこんな仕事やってたらダメだよ」というものだと、私は思っています。
それは10年前の私にも、今の私にも、そうとしか読み取れないのです。
もしも先輩が、今の私を見たら、何て言うでしょうね。
おそらく「お前、まだこんな仕事やってんのかよ、相変わらずダメな奴www」でしょうね。
その時の、皮肉っぽい笑顔まで、鮮明に脳裏に思い浮かんできてしまうのです。