COBOL技術者の憂鬱

COBOLプログラマは不在にしています

無職の頃

今からちょうど一年ほど前に、しばらく無職だった期間があったのですが、その時期のことを振り返って書いておこうと思います。

 

そもそも、なんで無職になろうと思ったのかあまりよく覚えていないのですが、もともと性格的に人間関係が不得手なところがあって、当時関わっていた『大勢の人が共同で作業する現場』から離れて、自分ひとりの力で生きていくことができるのかどうか実際に試してみたかったんでしょうね。

今はネットとかでお金稼いだりもできるし…なんとなくそんな感じだったように思います。

 

仕事を辞めるまでは、毎日の煩わしい諸々の事象から開放されたらどんなにラクになれるだろうかと想像したりして、正直ワクワクしていました。

そして、いざ実際に無職生活が始まると、毎日好きなことができるという充実感と、これからどうしようかという不安感が半分づつ混ざり合ったような心境になります。

やはり人間、何をしてもよいとなると、なかなか具体的に何をしたらよいのかわからなくなってしまうものです。

 

また、自分ひとりの世界になるので、いくらでも自分に甘えることができてしまうのも問題です。

これが会社だったら、周囲との共同作業になるので、自分の責任で周囲の足を引っ張ることのないように気を遣いながら日々過ごすことになるので、必然的に全体の作業の流れは滞り無く進んでいくことになります。

ところが、個人作業だとこうはいきませんね。

朝から図書館に行ったりとか、色々と自分なりに工夫したりしてみたのですが、私の場合はあまりうまくいきませんでした。

今にして思うと、コワーキングスペースとかああいう所に行けばよかったのかな。そういう意味では『場所』って結構重要になってくると思います。時間の使い方よりもずっと、場所の使い方のほうが重要。

 

まぁそのような感じで過ごしていた頃に、ふと立ち寄ったハローワークで、職業訓練の貼り紙を見つけて、これはちょっと風向きを変えてみるという意味でよいのではないかと思い、介護資格取得のプログラムに参加してみることにしました。

三ヶ月ほど専門学校に通うことになったのですが、この時期は学生時代に戻ったようでとても楽しかったです。修了式の時は終わってしまうのが本当に悲しくてとても寂しかった。

この当時の仲間とは、今でも時々集まって飲んだりするので、それが一番よかったことですね。この歳になって友達ができたりすることってほとんどないので、歳をとってから学校的なものにもう一度参加してみるのもよいのではないかと思います。

 

その後、流れ的に介護関係の仕事を探すことになり、まぁ色々とあって、結局今では介護とは全く関係ない職に就いています。

半年ほどで無職に挫折した形になってしまいましたが、それでも、一度試してみてよかったと思っています。色々学べたし、友達もできたし、自分には無職はあまり向いていないということもわかったので。

 

日本では、履歴書に穴開けるのを極端に恐れる風潮がありますが、自分に無職が向いているかどうかをジャッジするためにも、半年くらいなら許されるようになっていってほしいですね。数少ない職を大勢で奪い合うよりも、自発的に無職という立場を選択する人がもっと増えてもよいような気がするので。