COBOL技術者の憂鬱

COBOLプログラマは不在にしています

母のコメント

結婚式の一週間程前のことだったのですが、母親から一冊のアルバムを手渡されました。
そこには生後間もない赤ん坊の頃から、成長して高校へ入学したあたりまでの私の写真が、時系列に並べて綴じられていました。
マメなことしててんなぁ…と驚きながらパラパラとページをめくっていくと、各ページに母親の手書きのコメントが書かれていることに気づきました。


「どうか元気に育ってくれますように。」
「この時は泣いてばかりで機嫌をとるのが大変だった。」
「かけっこでスタート地点付近でこけてしまった。残念だったねー。」


もし他人が目にしても、特にどうとも思わないような素朴なコメントばかりだったのですが、息子である私がこの年齢になって目にすると、恥ずかしながら目頭が熱くなってくるのを感じました。
生まれたての小さな頃から、ずっと私の事を見守ってきてくれていたんだということが、数々の短いコメントを通じて伝わってくるような気がしたのです。


で、そこから派生してちょっと思ったことがあって、現在のWebの世界では、動画やブログエントリーなど、Web上に展開されている様々な要素に対して「コメント」する仕組みが必ずといってよいほど用意されていますが、それらは非常に刹那的で、大勢の人たちで消費していくような性格を持っているような気がするんですね。
なんだかうまく言えないのですが、例えばそれとは全く逆方向のベクトルを持った「コメント」を記録する仕組みがあってもよいのではないかと思います。
長い時間をかけて、誰か特定の大切な人に届くような「コメント」を記録していくようなサービスですね。


実は今、作りかけているWebサービスがあるのですが、もし完成したら、そういうことが実現できるようなものにしたいなと考えているのです。