COBOL技術者の憂鬱

COBOLプログラマは不在にしています

キャラメルの悲しみ

このあいだ、以前に私が勤めていた会社に対して全く思い出が残っていないと書きましたが、では逆に、常駐先での思い出はどうだったでしょうか。

これについては、良かったなと思うことと、これはマズイんじゃないかなと今でも思っていることと、大きく2つにわかれますね。

 

 

良かったなと思っていることは、それこそ色んな会社や役職に所属している技術者が、数百人という規模で集まってきて、よってたかって一つの作品を作り上げていくというダイナミズムみたいなものを深く味わうことができたことでしょうね。

その中では、様々な年齢層の人がいて、多種多様な経歴を持っている人がいて、様々な事情や背景を抱えながら朝も夜も仕事に取り組んでいて、そんな彼らと切磋琢磨しあえる環境というのは、技術者が成長していく場所としては、非常に恵まれていたのではないかと今でも思います。

当時、一緒に仕事をさせていただいた方々とは、今ではほとんど交流はないのですが、彼らから私は少なからず影響をうけていて、日々の仕事を進めていく上での行動規範、例えば『こういうことが起こった時には通常このように振る舞えばたいていの場合うまくいく』とか、そういう重要な場面で現れてきているような気がします。

また、今後どのような立場にたたされたとしても、過去に接した彼らの振る舞いを盗んできて、それをトレースしながら動いていくことで、切り抜けていけるような気さえしてくるのです。

 

 

ただ、それだけ多種多様な人間がいるということは、これも功罪あわせ持っているというか、それなりにまずい所もあって、それは何かというと、多重下請けにまつわる思い出で、これは本当にイヤな感じでした。イヤというより、なんか人間って気持ち悪い生き物やよなーって本当に思わされてしまうような、そんな世界だったのです。

 

 

例え話です、あくまでも。

あるプロジェクトをやっているA社という発注元の会社があって、それを受けるX社という元請け会社があったとします。

そして、X社だけでは人材をまかなうことができなかったので、Y社を下請けとして構えることにしました。

お金の流れはA社→X社→Y社で、人の流れはY社→X社→A社です。

具体的にお金の話をすると、例えばX社がY社から、人を80万円で買ってきて、それをA社に100万円の値付けをして売るわけです。20万円の利益が出ます。

Y社はその状態で2〜3年ほど転がしておいて、頃合いを見計らって自社の人間を引き上げるわけです。

で、さらにその半年後に、Y社はA社に対してこっそりとこう持ちかけるのです、「以前に御社で活躍していたあの人を、今度は90万円で売りますよ。」と。

これでかつてのX社の収益を、A社とY社で折半できて、見た目上は誰も損してないような感じになります。

A社とY社からすれば、今度は2〜3年と言わずに、その後へたをすると数十年もその価格帯で取引を続けることができるので、非常に得した感じがしますよね。

 

 

いま、お金と人の流れの話しかしませんでしたが、そこで働いてる人々の気持ちにフォーカスすると、どういうことが起こっているのでしょうか?

ついこの間までは、X社とY社の人間は机を並べて一緒に仕事をしていたのに、ある日を境になんだか商売仇みたいな感じになってしまっているのです。もちろん一緒に飲みに行ったりとか、個人的なお付き合いなんかもあったのに、ある日突然、そんなことはなかったかのようにお互いに振舞っていて、誰もそれがおかしいとか言い出すこともなく、商売ってそんなものだよってところに落ち着いてしまっていて、なんだかそんなものの一切合切が気持ち悪かったのです。

個人の感情レベルで、イヤな思いってたくさんしてきましたが、さすがにこれだけ時間が経過したら、そんなことはもうキレイに忘れてしまっています。

でも、なんかそういう集団的な話の中でのイヤなイメージ、あの、誰も言い出さないみたいな、タブーみたいな、なんかそういうジメジメした感情は、いつまでも残り続けるものなんだなーと思いました。